先週末、大切な友人のお通夜と告別式でした。
壁にいっぱい貼っためぐたんとさと家の写真をみんなで見ながら好きな写真に+1シールをペタペタ貼って故人を偲んで思い出を語り合ったり、式の最中にはめぐたんの好きだったMichael JacksonやOasisの曲をかけて、お通夜のあとは祭壇の前で蒼くんの3歳の誕生日を祝ってみんなでケーキを囲んでハッピーバースデーを歌ったりして、海外にいるおともだちも参加できるようにUst配信もして、本当にめぐたんとのぶさんらしい、素敵な式になりました。
わたしから見た、めぐたんの最期をとりまく日々の記録を残したくて、書いてみたらすごく長くなっちゃった。これでもほんの一部だけど。
わたしとさと家はもともと、のぶさんとわたしがbAでの同僚だったのでたくさんのプロジェクトでの戦友でした。それでめぐたんとも一緒に上海小吃行ったり、結婚式にも呼ばれたり呼んだり、引越も手伝い手伝われ、ともみんまゆみん29も一緒に前島の初瀬庵で年越ししたり、さらに今年の4月から8月までは武蔵小杉のさと家の留守宅管理兼宮様(猫)世話係として居候してたので、ほとんど家族のように思ってるのです。
深夜に救急車で運ばれたのがつい2週間前なのに、すごく長かったように感じます。めぐたんは宣告から7ヶ月の間、これまでも何度も危ない状況を乗り越えてき(たようにみえ)て、本人ものぶさんも夫婦揃ってとことん前向きな姿勢を貫いていたから、今回もきっとギリギリのところで乗り越えられると信じるようにしてました。
緊急入院した夜の翌日の10月28日、それぞれ会社を飛び出してみんなで午後に会いに行ったときは、すごく小さく細くて目もほとんど見えないみたいで、痛々しくてどうしようってくらいだったけど、でも治療中に丸めた頭も髪ふさふさになってて、29よりふさふさだね!なんて笑ったり「みんなー、ありがとうねー。ごめんね。明日か明後日にはきっとよくなるよね」って言って、にっこり笑ってました。みんな言葉に詰まって何も言えなかった。ふさふさな頭に触れたらとてもあったかくて、ちょっと熱っぽいみたいだった。のぶさんは病室の外に出て話しながら泣いてた(一瞬、GDD行きたいんだよねw、っていつもの調子に戻ってちょっと笑った)。元居候のわたしがこんなときにできることはさと家に居てのぶさんの手が回らない部分をサポートすることだと思い、泊まれる準備して来てた。大阪から駆けつけた29と、そしてchihoshも一緒に来た。あとからmahirokとkotarok、まゆみんも来た。
その晩からさと家を詰所にして代わる代わる泊まりこんで、病院でつきっきりののぶさんにカレー弁当や餃子弁当を作って差し入れしつつ洗濯物ピックアップしたり、必要なもの調達したり。まゆみんは逗子から来ていつもタイミングよいときに病院に行って、めぐたんを見守ってた。
11月1日はわたしはGDDにボランティアスタッフとして参加したんだけど、朝ばぁばと一緒に蒼くんを見送って、保育園の先生がめぐたんに見せるために撮ってくれた蒼くんの動画が入ったSDカードを受け取ってのぶさん宛にデータを送ってから出かけた。朝の蒼くんは、29おじちゃんとゆこっぷちゃんと追いかけっこしてキャハハハって元気に走りまわってたけど、やっぱり少し様子が違うように見えた。その日の午後はめぐたんが治療のために病院を移る予定で、前の晩に輸血もしてたから心配でのぶさんのtweetを29とお互い確認しながら追ってた。病院移送前に痙攣と失神というtweetをみて、うわぁちょっとまってよ、神様、たのむよ…!って祈るしかなかった。chihoshが病院に駆けつけてくれたので、担当業務終わってから連絡してみたけど通じなくて、またもやハラハラ。20時すぎて連絡とれて、どうだった?って聞いたら、うん、あとで、っていうので、最悪の事態ではないことがわかり、その日はふたりとも詰所に帰りました。夜、わたしは22時半から23時半までSkype英会話で泣きそうになりながらめぐたんの話をして先生に奇跡は起こるよって励まされたりしてた。その間にのぶさんからchihoshに連絡があって、病院に呼ばれたらしい。この時間に病院に呼ばれるってどういうこと!どうしようーいやだよー!ってふたりで泣いたってあとから聞いた。詰所のわたしたちはどうすることもできず、ただ祈ることしかできず、29とGtalkのビデオチャットつなぎっぱなしにして3人でのぶさんのtweetを見守ってた。
そしたら、日付が変わった頃に、
これみて、そして泣いた。
で、その晩はどうしたんだっけな。さすがにのぶさんに連絡なんかできなくて、どうしてるかな、って言いながらも今晩は特に動きはないだろうってことで、いつでも出動できる格好で眠ったんだった。chihoshも私も会社に連絡して次の日は自宅作業にさせてもらった。次の朝、起きて朝ごはん準備してたら、9時半ごろのぶさん帰ってきた。おかえりおかえり、って言って3人で朝ごはん食べた。のぶさんは、思ったよりも落ち着いてみえて、でも、どうしたらいいんだろうねーってぼそぼそつぶやいてて、その日からもう葬儀の件で家族や関係各所との調整に奔走してた。わたしとchihoshは、Google Docsに作ったTODOリストをサポーターチームにシェアして、必要な手続きなどまとめていってた。29おじちゃんから司令で、めぐたんが帰ってくるときのために掃除しとけ、っていうの聞いて、そ、そうか!ここに来るかもしれないんだ…!って家中掃除機かけて、シーツなんかも洗濯して、布団も干したりした。サポーターチームの「うっちーです。」スレも徐々に動きはじめて、のぶさんは夕方から親族と葬儀屋さんとの打ち合わせがありそのまま蒼くんと一緒に実家に泊まり。わたしとchihoshは夜、めぐたんが録画していたクローズアップ現代のジョブズ特集みて、思わず重ね合わせてまた泣いた。何ができるだろうかってつい暴走して、情報共有をしたほうがいいのかどうなのか悩んで、本来のぶさんからお知らせするべき情報を確認とらずにchihoshからtweetして「うっちーです。」スレのメンバーにいや待て落ち着けそれは違うだろう、ってたしなめられたりした。夜風の中を散歩して頭冷やしてから眠った。
3日の朝に戻ってきたのぶさんに、昨日ごめんね、って謝って同じように3人で朝ごはんを食べ、のぶさんはめぐたんを迎えに行くのと会場決めなどに出かけていき、詰所のわたしとchihoshは昼間は外の空気を吸いに出て、夕方まゆみんとあゆみちゃんと合流。のぶさんからはメールで、葬儀の際に写真をいろいろ飾りたいのと、音楽をかけたいからその手配よろしく、詳細はあとで、と司令が来た。その晩は詰所を片付けて一旦解散することにしようと思ったら「今日はいて欲しい、葬儀の相談をしたい」てことで、わたしひとり詰所に戻ってコーヒー淹れて待ってた。のぶさん夜遅くに葬儀打ち合わせから戻ってきたけど、親族との長い長い電話会議がありその間わたしはNHKでやってたYMOのライブを小さい音で見ながら待機。25時すぎにやっと電話が終わり「もうだめ、待っててもらって申し訳ないけど今日は無理」というへろへろなのぶさんから、決まってることやわたしたちがやるべきことを少しずつ聞きだして、Hangoutsでkotarokも参加して葬儀準備のGoogle Sitesでまとめサイト作って、FF夏の陣納品前夜みたいなかんじで、27時半までかかって80%くらいのところで、わたしがもう限界来て倒れるように眠った。
4日はひさしぶりに出社。「うっちーです。」スレとまとめサイトでだいたい役割分担できてたからそれぞれさらにお願いできる人をつかまえたり、事前に把握しておかなきゃいけないことをまとめたり。ここからのみんなの機動力、すごかった。のぶさんが、GDDのときの#prayforsatoのメッセージに+1たくさん貼ってもらったボードがあったら借りてきて欲しい、といってたのでkotarokと入手を試みるも残念ながら処分してしまったとのことで、でも+1シールは一束200シートをどかんとゲット。わたしとchihoshでその夜会場下見に行って、写真を貼るスペースとか音楽用の機材とか部屋の大きさ採寸とかWiMAXのスピードとかもろもろ確認して帰った。
「うっちーです。」スレはトピックごとに派生してなぜかprefixがうっちーです。
「Re: うっちーです。(写真貼るとき)」
「Re: うっちーです。(寄せ書き)」
「Re: うっちーです。(ハガキ)」
「Re: うっちーです。(手向け花)」
「Re: うっちーです。(火葬)」
「Re: うっちーです。(リポD)」
など。
5日は朝からもろもろ連絡して、慌てて自分の準備もして、14時ごろに会場入りしてまずはスタッフ控室確保。Ust隊は昼テストしてから来てさくさくセッティング。音楽隊は司会台のコンソールが特殊仕様で手こずったけどなんとかラインから音出るようにしてくれてiPodはメインとバックアップ2台スタンバイ。受付案内隊、わたしたちもやる予定だったけど全然間に合わず急遽担当変更。1階の寄せ書きとハガキはチワワさん。chihoshはみんなから集めた写真をプリントしてきて壁に模造紙貼って、かわいー!って言いながら手分けして写真ぺたぺた。当日連絡で早めにきてもらったヘルプ隊や、ガジェット提供やら差し入れ、蒼くん誕生日盛り上げ隊、本当にたくさんの人の愛が集結してた。お通夜のはじまるちょっと前、巨大な憂鬱に襲われてもう控室の外に出たくない、ここでUst見る…うっう…ってなったけど、いや待て何いってんだ、って気を取り直して、後ろのほうでこっそり参列したのでした。準備がほとんど終わってもう大丈夫そう、っていうときにTEMOママの顔を見た瞬間に涙腺崩壊して、chihoshに、まだはやいよ!って言われたりした。献花の列に並ぶときや、ふとした瞬間にこみあげて、自分でも何に反応しているのか不思議だった。
6日はもう準備はできてるけど、やっぱり早く居たほうがいい気がして朝9時半すぎにいちばん乗りで到着。告別式も無事に始まって、ああそうだ、めぐたんとの最後のお別れのときに、それまで泣かなかった蒼くんがのぶさんに抱っこされてお母さんの棺の横で泣いてたのみて思わず駆け寄って、泣きながら「大丈夫だよ」って(ぜんぜん大丈夫じゃないよね、でも)言ったんだった。
みんなでお棺にお花を入れて、それから会場の係の方が気をくばってくれてわたしとchihoshにモリゾーぬいぐるみやらみんなからの寄せ書きやら大事なものを入れさせてくれた。結婚式のときにも一緒にいたモリゾーとチビゾー、めぐたんの顔の近くに、お供させたよ。がんばったね、ってふさふさな頭を撫でたら、冷たかった。斎場までついていって、めぐたんの骨を、やっこたんと一緒にそっと収めた。最後の最後まで見守らせてくれてありがとう。
テクノロジーとみんなの愛のおかげで、めぐたんを見送るには最高の式になったなあ、と思います。
写真をたくさん貼ってみんなに+1してもらうのも、結果的にすごくすごくよかったのだけど、あれも最初からああいう形になるなんて誰も想定なんかしてなくて、とにかくみんなで手分けしてバーッて進めてその場その場で相談して進めたことが最終的にすごくよかった!ってことになったんだよね。
蒼くんのお誕生日祝いも、式が始まる前にやろっかって言ってたけど、「嬉しい」から「悲しい」よりも逆のほうが良くないかな?そっか、そうだよね、でそうなってそれがすごくよかった。お通夜が終わってみんなでめぐたんの祭壇の前にあつまって、テーブルの上にはホールケーキが3つも並んでロウソク3本ずつ立てて照明を落として、こどもたちは一緒にケーキの前にあつまって、みんなでハッピーバースデーを歌って、蒼くん「フー」がなかなかうまくできないのを笑顔で見守って拍手してお祝いした。プレゼントを持った大人たちの行列ができて、蒼くんはどこかの国の王子さまみたいだった。お母さんのお通夜の日に誕生日なんて、なんという残酷なタイミングなんだろう、って思ってたけど、お母さんと蒼くんとお父さんと、さと家を支えていく皆で、あの場でお祝いができたのは本当に良いことだったと思うよ。
#prayforsatoのタグ付きのtweetから、それまで関わりがなかった人までも心配したり祈ってくれたり言葉をかけてくれたりして、遠慮してDMでくれたり、そしてたぶん何も言わなくても心にかけてくれてた人はもっといっぱいいたんだと思う。今日も、ひさしぶりに会ったおともだちから、みんな見守ってたんだよって心を痛めてくれていたことを知った。
こんなに悲しい出来事の中でも、決して希望を見失わない強い心に打たれ、試練と成長があり、素敵な出会いやぽかぽかするよな心のふれあいがあり、さと家のサポーターはさらに増殖中だよ、めぐたん。沢山の、目に見えない大切なものを残してくれてありがとう。これからの人生の中でもきっとめぐたんの仕掛けた何かに出会うことがあるんだろうなって、たのしみにしてるよ。
本当におつかれさま。あなたの強さと美しさ、忘れません。安らかに。
ブログからだけですが、必死に生きるその姿に心を打たれました。
誕生日、蒼君はお母さんの命のバトンをしっかり引き継いだはず。
蒼君が元気にたくましく育つように心から祈っています。
僕たちの #prayforsato はまだまだ続きますね!