Stranger in Wonderland

Lesson 3-6 I got my EAD card / 労働許可証(EADカード)を入手したよ

労働許可証(EADカード)が郵送で送られてきました。早かった!USCIS(移民局)のサイトで確認したら 3ヶ月かかるってことだったけど、申請から 1ヶ月ちょいで届きました。わーい!初の、アメリカで発行された Photo ID 入手だー。これでお酒買うときとかに日本のパスポート出さなくてよくなるー、うれしい。 EADカードも常に持ち歩くようなものじゃないらしいけど、パスポート持ち歩くよりは気楽だし、ドライバーズライセンスを入手するまでの辛抱だ。

申請から取得までのタイムラインは、

  • 02/13 オンラインにてI-765フォーム提出、申請料払う
  • 02/18 郵送でEADの申込みした確認のお知らせが届く/移民局宛に必要書類の郵送をする
  • 02/21 移民局からEAD(労働許可証)申請の件で出頭通知
  • 03/07 移民局に出頭して本人認証
  • 03/13 郵送で労働許可の通知届く
  • 03/17 郵送で労働許可証(EADカード)届く

こんなかんじでした。13日に届いた通知が固い紙だったので、それがカードなのかと思ってたら、ちゃんと Photo ID っぽい様子のカードがあとから届きました。

せっかく働ける権利を手に入れたけどまだまだ就職できるような英語力には及ばなくて、申し訳ない気持ちと情けない気持ちにもなりますが、まあしかたない。焦らず一歩ずつ行きます。

I-765

Netflix でみはじめてハマりつつあるオーストラリア発テレビドラマ、Dance Academy がおもしろい。バレエ漫画を彷彿とさせるベタな展開なのだけど、そこが良いのです。Season 1: Episode 4 までみたところ。

田舎の牧場で育ったバレエ大好き少女が、都会の名門ダンス学校でがんばるお話。友情なのか罠なのかの見極めでハラハラしたり、すてきな上級生に胸キュンしたり、寮の規則を破って夜に抜け出してオーディションが無効になりそうなところなぜか不良少女に助け舟を出され一命をとりとめたり、優等生のルームメイトとの嫌がらせが白熱したり。有吉京子の『SWAN』とか山岸凉子の『アラベスク』を読んだ人にはたまらないと思います。そういえば「トウシューズに画鋲」の元ネタって高橋真琴(おひめさまえほん!)の「のろわれたコッペリア」らしい。とここなど何箇所かに書いてあったんだけどそれより去年京都でこんな展覧会やってたのか……!うおぉぉぉ…

キャストはどうやらみんな舞台経験のあるダンサーのようなので、安心して見れます。女の子たちはそのわりにちょっとぽっちゃりかなと思うけど、ティーンズだし、それもまたかわゆし。男子だと Christian 役の Jordan Rodrigues がとてもよいです。

  • Tara Webster / Xenia Goodwin - 主人公。何かの間違いで合格しちゃったバレエアカデミー1年生落ちこぼれ組。
  • Katrina “Kat” Karamakov / Alicia Banit - バレエアカデミー1年生で何かと派手な不良少女。主人公となぜか仲良し。イケメンの兄を持つ。
  • Abigail Armstrong / Dena Kaplan - 主人公のルームメイトで優等生。オーディションのときは友好的だったが次第に関係が険悪になり互いに嫌がらせが白熱。
  • Samuel “Sammy” Lieberman / Tom Green - Sam=サマンサ、と勘違いされ男子なのに不良少女とルームメイトにされたことがきっかけで、なぜか主人公と不良少女と仲良くなりよくつるんでる。
  • Christian Reed / Jordan Rodrigues - 何かと境遇が大変で影のある男子。主人公とパドドゥの練習で組むことに。若かりし日の竹野内豊風。
  • Ethan Karamakov / Tim Pocock - 不良少女の兄でいけすかないイケメン、泣かせた女の子は数知れず。主人公も一目惚れするけど相手にされず。
  • Lucinda Raine / Tara Morice - 厳しい先生。

みんな Instagram やってるんだなあ。名前のとこからリンクはっといた。他のキャストと一緒の写真もありプライベート写真もあり、ドラマとソーシャルメディアをパラレルで楽しめていいね。

Dance Academy

3年前のあの日のこと、どこにもまとめて書いてなかったら忘れないうちに書いておきます。わたしが東京で体験した3月11日。

evacuation

3月11日(金)

14時すぎごろ、以前からのランチの約束通り普段交流のないいろんな部署の人たちと、近くの大学の学食へ向かう。学食のある建物は新しくてきれいで広々としてて、どこかの温泉的な施設のお食事処のようでもあり、別の近くの大学の「いかにも学食」な雰囲気とはだいぶ違う。
◯◯部ってどんなお仕事してるんですか?とか、韓国語話とかしつつ、おいしくごはんをたべおわり、お茶飲んでるときに、揺れが来た。
最初は、おー揺れてる、でかいね、とかいってたけど、尋常ではない揺れなので机の下にもぐってやりすごす。ぜんぜん止まらない。高い天井から長くぶらさがった照明が90度くらいにグオングオン揺れている。
誰かが、外に出よう、といって出てみたら、人がパラパラと出てきていた。

15時すぎごろ、少し落ち着いたのでみんなで会社に戻ると、ビルから人がぞろぞろ出てくる。避難勧告が出たらしい。おーう、荷物、会社においてきちゃった、けどいま戻らないほうがいいね、ってことで近くの学校のグラウンドに向かう。
避難なんてはじめてした。近くのいくつかの会社や学校の人たちが集まってる。怯えている人も興奮してる人も、早く帰れるぜワーイって人も。高校生が「震度いくつですか?」と聞いてきたので宮城県で震度7、東京は5だって、と答える。避難中も何度か揺れが来て、グラウンドにある照明がぐらぐら揺れているのが見える。韓国人の同僚は、この世の終わりってくらい怯えていてかわいそう(韓国は全然地震がないらしい)。しばらくして会社に戻る。

会社から、16時で本日の営業終了です、17時には閉めますので帰りましょう、とのお知らせが。でも電車止まってるし雨降ってきたみたいだし、ネットの情報見てるとまともに帰れる状況ではない。いま動くようにすすめるなんてどうかしてる、と思っていたら、しばらくして帰れる人は解散、ビル自体は閉まらないので会社にも18時頃までは居て大丈夫となったので、社内で様子見ることにする。このあとはNHKのUst見てた。津波の映像とか各地の地震被害の映像とかがくりかえされる。

18時すぎごろ、近くのセブンイレブンへ買い出し。おにぎりとパンは売り切れだけど保存食はまだいっぱいあった。会社に泊まるかもしれないし、食料の他に洗面用具や下着なども買っておく。埼玉の実家とメールで連絡ついた。近くのTwitterおともだちと連絡とりあって安否確認など。声かけてもらえるのありがたい。会社居残り組でコンビニで買ってきたごはん食べて、気晴らしにトランプなどしたり。

20時ごろ、緊急お仕事発生。会社で義援金を募集して、あつまったお金と同額を会社が上乗せして(マッチングギフト)日本赤十字社に寄付することになり、それの対応。この数日前、もうこれ以上この会社でやっていくのは無理だと、退職したい旨を上司に報告していたのだけど、このときは、このスピード感はすごいな、と思った。リリースして、わたしもすぐに寄付をした。緊急対応のかたわらニュース見たりTwitter見たりで、帰宅難民になってる友人に、開放されてるカフェを知らせたり。

3月12日(土)

深夜2時前、会社の会議室にダンボール敷いて仮眠準備。買い出しのときについでに買っておいたレインコートにくるまって眠ろうとする。なかなか眠れない。祈るのみ。

朝5時ごろ、結局あんまり眠れないので起きて、電車の運行状況をチェックしたりニュース見たり。各線、7時とか8時とかには再開してた。わたしは東京メトロで順調に7時半ごろ帰宅。意外と部屋は無事で、ものが多少落ちてたけど何も壊れてない。非常用グッズになりそうなものをまとめて、眠る。

14時ごろ、ぐっすり眠って目が覚めてお風呂入る。非常用グッズを買いに池袋へ。マグライトとかホイッスルとか水溜め袋とか。明るいうちに炊飯などしておく。

本当はこの週末、水戸に住んでる友人のところに遊びに行く予定だった。茨城空港の天井や壁が崩れてる映像も流れていたので心配してて、友人と連絡ついたのは確か11日の夜だったかな。水戸へ行く電車はその後しばらく復旧せず、特急が再開したのはたしか数週間後だったような。

3月13日(日)

土曜の晩は異様に眠くて、生まれ変わるんじゃないかってくらい眠って、起きたらなんか肩のあたりが重たいので夕方からバレエ行く。2つスタジオに電話したらどっちもやってた。
先週月曜日に全社員に支給されたPHSがめちゃめちゃ役に立ってる。チームメンバーの状況確認とか緊急連絡とか。なんというグッドタイミング。

翌週

自宅勤務可の連絡があり、この週は在宅仕事してた。といってもそんなにやることないので、Googleのパーソンファインダーの人力OCRの作業してた。何か力になりたいけど何ができるのかわからない、っていう状況だったので、これにはすごく救われた。多くの目が入れば入るほど正確になっていく過程とあっという間に作業済みになっていく様子にしびれた。
応援という建前でマイ・フェイバリット・個人経営飲食店めがけて外食三昧してた。
Twitterではデマが拡散されたり殺伐としてきたりでしんどくて、TL整理して目に入るものを調整してた。攻撃的になったり脚引っ張り合ったり、混乱をさらに引っ掻き回す様子を見てかなしいきもちになってた。よくわかってないわたしに何が言えるんだろうフィルタがかかってあまり発言しなくなり、同じようなこと言ってる人に共感してた。
わたしにできるのは、この状況に慣れて危機感を失わないこと、冷静さと柔軟な想像力を忘れないこと、身の回りの大事な人たちへに愛と敬意をもって接すること、だって思ってた。

あれから3年。このあとも2011年は個人的にも大きな出来事が続いて激動の年でした。明日死ぬかもしれない、そうなっても後悔しないように生きよう、って思いを強くした年でした。

ちっぽけだけれど、今日のわたしにできるのは、忘れないように記録しておくことと寄付すること。祈ること。

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Yuko Honda Morita (yukop) : yukop.com
飯能→東京→シリコンバレー。夫と猫2匹と暮らしてます。作ったり学んだり踊ったりするのが好き。
Born in Japan, living in California with my husband and two cats. "A bit of a geek and a bit of a geek fan and a bit of an artist." ->

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